「郷童」の言葉を使い始めて30年

辞書にはない言葉「郷童」を使い始めてからもう30年以上も経ちます。自分の撮影している日本の子どもたちを、いつからかそう呼ぶようになりました。子どもたちが生まれ、そして今暮らす「郷」の自然や風土にどっぷりつかっている子どもたち。「郷童」による最初の展覧会の会場は、デパートの催事場でした。展覧会名は「郷童見聞録」。宗谷岬の昆布干しのお手伝いをする北の「郷童」から、沖縄北大東島のサトウキビ刈りをする南の「郷童」まで、50市町村の子ども達の姿を並べました。
「なぜ都会の子どもはいないのですか。都会にだってふるさとはありますよ」
「わたしは転校生。生まれたところだけが“ふるさと”ではありません」
等々のご指摘もいただきました。
今は亡き作家の立松和平さんや、山頭火の研究者であった、作家の村上護さんからも感想をいただきました。
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立松和平 氏
「子どもの頃のことは、体験であれ、身のまわりを包む環境のことであれ、絶対に忘れないものである。年とともにそれは鮮明になり、生活環境が変われば変わるほど、忘れがたくなっていくものである。
岡本央の写真に登場する子どもたちは、何と幸せなことだろう。足の裏に感じる土のぬくもりや、手をなめる波の感触を、子どもたちは生きる上での原点として成長していくだろう。そのことがどんなに大切なことなのか、失ってしまってからはじめてわかる。そんな悲しいことが、私たちの国では日常茶飯事におこっている。しかも、喪失について痛みを感じる感受性すら失われていくのである。 岡本央の写真は、ここまで走ってきてしまった多くの私たちへの、子どもたちの姿を借りた生きることの問い直しなのかもしれない。子どもたちに教えることのできる大人がまだ残っている。そんな発見も、私を安心させる。」
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村上護氏(抜粋)
「地方に行けばなんとなく生き生きとして帰って来るのを知っている。あるいはひょっとして本当にふるさとを見つけたではないか、と思うときがあった。
 私がここ20年追っかけて調べてきた俳人に山頭火というのがいる。この俳人がまた、ふるさと捜しにいつも出かけていた人で、いつしか山頭火は生まれ故郷に寄る辺を失ったが、彼自身の言葉を借りれば『身の故郷はいかにともあれ、私たちは心の故郷を離れてはならないと思ふ』といい、彼は心のふるさとを捜して、どこまでも歩いて行った。岡本央が求めているのもきっと心のふるさとなのだろうが、その世界が写真の中に余すところなくあふれているに違いない。」
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by sanaka-okamoto | 2017-05-22 19:48
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